そんなブログ

俺達は―暗夜の閃光 炎の中からはじけ飛ぶ 最後の兇弾

評する時に「クソ」を使う是非

くそ
【糞・屎】
1.
《名》肛門(こうもん)から出る、食物のかす。大便。転じて、分泌物や物のかす。
 「目―」
2.
《感》人をののしったり、「何を」と思ったりする時、発する語。
3.
《名詞に付けて》 物事や状態をののしったり、強めて言ったりするのに使う語。
 「―ばばあ」
ふん
【糞】
動物が排出する、食物のかす。くそ。大便。

罵倒語としての「クソ」は他人を罵る際に使う「クソ野郎」等、大昔からあったと思われる。
調べると戦国時代以前からあった、という記述もある。

では、現代で頻出する「糞映画」「クソアニメ」などあらゆる接頭辞に「クソ」を付ける文化のはしりは何なのか。
それはみうらじゅん氏が発祥を自称している「クソゲー」、であると思われる。
これは特に根拠らしきものは無いが、一番適当だろうとしてそうすることにする。
現代、と言っても実際の対人会話で使われているかどうかは、「友達0人」である身からすれば見当がつかない。
つまりネット上、と置き換えられるが、便宜上現代とさせていただく。

 

ネット上では、どこかしこでも「クソ◯◯」が溢れている。
クソゲー」「糞映画」「クソアニメ」……単体で「クソ」と必要以上に使われる場合も多い。
これには理由がある、と推測している。
ネット上では文字のやり取りが基本である。
実際の対人会話では、表情、イントネーション、前後の流れ…等と文字上では読み取れないニュアンスが多々存在する。
逆に言えば、文字上のやり取りでは、文字の意味そのまましか受け取れないということだ。
ちょっとした「言い方」で罵倒することも、対人会話ならば可能である。
が、文字上では「凄い」は「凄い」だし「痛い」は「痛い」、というようにそのままの意味しか把握できない。
ならば、接頭辞に何かしら加えて、言い方でのみ伝えられるニュアンスの代わりを表現しよう。
「クソ凄い」「クソ痛い」、ホラ、これでニュアンスが追加される。
これが「あらゆる接頭辞にクソ」の理由であろう。
クソに限らず「死ね」「消えろ」等、レパートリーは豊富である。
要約すれば「文字上のやり取りでは、対人会話で表現できるニュアンスの代わりに「文字で」の強調が必要である、故に…」という事だ。

 

そのような理由があるのを承知の上で、この「クソ◯◯文化」を私は心の底から忌避する
まず思考停止に連呼して、具体的に何がどうクソなのか述べられないのが駄目だ。
「あれってクソだよな」「え、そうなの?」「そうだろ、だってクソだからね…」
これでは適当に罵倒していると受け取られてもしょうがないではないか。
さらにクソ◯◯と言いつつ、そこには罵倒の意味はそれほど入っていない、というものがある。
これが問題で、「言い方」を駆使するならともかく、前述したようにそのまましか文字は意味してくれないのだ。
前後の流れで理解できる場合もあるにはあるが、かと言って誤解を招かないかとなると間違いなく招くであろう。
罵倒のクソ◯◯と混入して使われることもあるので、ますます混乱を呼ぶのだ。
特定のコミュニティのみで通用するし限定して使っているからいいだろう、という意見もあるかもしれない。
だがパスワードでも設定しない限り、見ようと思えば誰でも閲覧可能なのである。
そこから誤解を招く。
ネットは全世界の人間が見ている、という大前提を改めて考え直してほしい。
次に、下品だし汚いから駄目だ。
ウンコを意味する単語が飛び交うのは、傍目から見て異常である。(この記事もそうであるが……)
同じ罵倒後でも「駄目」「駄作」などを使えばいいものを、前述の思考停止問題も相まってイメージの悪いクソを用いる必要が、果たしてあるのだろうか。
いや、駄目駄作以上の罵倒のニュアンスを表現したいからクソを使うのだろう。
だが、クソ○○というのは向けた対象に、異常なまでの腹立たしさを覚えさせるのである。
私は前々から「批判は当たり前。それに腹が立つのは伝え方が下手だからだ」という持論を提唱している。
「これはクソ」よりも「これは駄目」「これは駄作」の方が、はるかに穏便である。
誰しも好きなものを批判されて、腹が立った経験があると思われる。
その怒りがわかるならば、クソは御法度なのだ。

 

もはやクソという罵倒語の意味合いよりクソが横行している現状そのものに不満がある、とすら思う。
クソの位置に「キレイ」「美しい」とあっても怒っているのかもしれない。
最後に、クソ(カタカナ)、糞(漢字)と表記ブレがあるが、これは横行している実態から反映されたものである。
クソゲー」「糞映画」というようにゲームはクソ、映画は糞、という暗黙の了解があるのである。