ワイルドサイドへの執着

童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり

実写『亜人』は実写『進撃の巨人』である

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 写『進撃の巨人』(以下実写進撃)フリークとして劇場で驚いた。最近流行りの「これ実質○○じゃん」が我が身に降りかかるとは思ってもいなかったからである。

 

主人公
・永井(佐藤健)→事故死により自分が亜人である事に気付く
・エレン(三浦春馬)→巨人に喰われ絶命しかけたが自らも巨人に覚醒する


宿敵
・佐藤(綾野剛)→永井と同じく亜人でありテロリスト、永井を勧誘する
・シキシマ(長谷川博己)→エレンと同じく巨人でありテロリスト、エレンを勧誘する


 この構造がとても似ている。主人公が「瀕死の状況から異能に覚醒し」「同じく異能である宿敵と対峙する」。主人公が宿敵に共感しかけるというのもポイントだ。キャラクター的に言うと全然違う……のだが物語での立ち位置、展開上非常に似ていると言える。宿敵は「主人公と同じ異能であり」「仲間になろうと勧誘する」。動機が「マイノリティーの解放」(佐藤)、「国を作り替える」(シキシマ)と違ってはいるが、どちらもテロリストである。そして何より演者である綾野剛長谷川博己の演技の方向性が全く同じと言ってよい。全てが芝居がかっておりケレン味を重視している、アニメ的な誇張された演技なのだ。流行りの人気漫画の実写化なのである程度似る部分はあるかもしれないが、ここまで似ているのは珍しいのではないか。実写進撃の後篇『エンド・オブ・ザ・ワールド』でこんなやりとりがある。

エレン「アンタを……倒す!」
シキシマ「残念だよ……君となら世界を救えると思ったが!」


 実写進撃(特に後篇)の美点が凝縮されたようなシーンで大好きなのだが、これを『亜人』劇中で永井と佐藤のやりとりに持ち込んでも全然違和感が無いと思う。要はどちらもアニメ的なのだが、それ故に抗いがたい魅力も生み出されているものだ。まぁ筆者は当然の如く実写進撃派なのだが、現状『亜人』がそれなりに評価されている事に怒り心頭を禁じ得ない。もっと実写進撃を観ろ!語れ!そして再評価しろ!