ワイルドサイドへの執着

童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり

『ワンダーエッグ・プライオリティ』特別編――まだまだもういっかい

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 年の一月に放送を開始したTVアニメ『ワンダーエッグ・プライオリティ』は、まず事前情報として脚本である野島伸司の名前を全面に出す鳴り物入りの告知を行った。次いで名前に上がるのが監督である若林信になるが、この名前もコアなアニメファンには知れた存在であることからベテランと若手の組み合わせ、日テレとCloverWorksの共同制作、いやもっと単純にキャラクターデザイン・総作画監督を務めた高橋沙妃による瑞々しく華のある、キャッチーなビジュアルこそが一番分かりやすく目を惹くものだったかも知れない。

ともかく、海の物とも山の物ともつかない玉石混合粗雑乱造魍魎跋扈のオリジナルアニメ、さて今回はどうなるか、何を見せてくれるのか、それなりの期待値を持って迎えられた第1回がとんでもなかった。劇場版クラスと言っても差支えが無い作画のクオリティ、実写的な下地のリアリティがある空気感、謎に満ちた世界観、断片的に提示される情報、伏線……いや、やっぱり登場する女の子達の可愛さ、可憐さ、あどけなさ、あるいは狡さが繊細な描線と生っぽさのある台詞回し、声優陣の説得力のある演技によって異様なクオリティを保ち、更に裏に潜む尋常ではない作り手の執念とリビドーの結実に恐れおののいたのが視聴継続の決め手になるのは当然だろう。第1回以降もそれらの質は落ちることがなく依然好調は留まることを知らず、この物語がどのような結末を迎えてくれるのか、オリジナルであるから「誰も知らない」――特有のスリリングとドライブを持って、徐々に不穏が姿を現していき、薄氷はいとも簡単に砕かれる残酷な真実が待ち受ける展開となるのだが、それでも構いやしなかった。むしろ、この絶望を少女たちは、口幅ったい言い方をすれば、若さは――どのように乗り越えることが可能であるか、即ち結論により注視することになる。しかし、突然挟まれる総集編、第11回で明かされていなかった陰謀の大まかな筋書きが示されると、視聴者に一抹の不安が過ぎる。放送予定を推察するに、1クールであるから、あと1、2回……「これ、終わるのか?」そう思わざるを得なかった。伏線を丁寧に回収していく作劇でないのは理解しているとしても、要素としてやらなければならないことが余りにも多過ぎるように思えたからだった。かくして、第12回。主人公である大戸アイの問題は解消されたのだろうか? でも折れてしまったリカと桃恵は? ねいる、アカや裏アカ、フリルは何をやろうとしているのか? ラスボスとの決着は? 数多ある疑問は回収されないままに、第12回、最終回は終わった。いや、終わったんだけれども、終わったが……と無限に反芻を続けさせるようなブツ切りで視聴者を宙ぶらりんにしてしまったのだ。つい邪推してしまう制作のゴタゴタに配慮しても、これは……と煩悶していると救いの如く告知される特別編決定の文字! やった、終わらせられなかった分を後日やってくれるのか、真の最終回なんだ、良かった良かった、二か月後だけれど……。そのようにしてファンの期待と不安を一身に背負って放送されたのが「特別編」である訳だが、尺は一時間。それだけあっても、終わらせられるのか微妙なのが正直なところだった。私は円盤もちゃんと買って、復習もちゃんとして、来たるXデーに備えたのである。果たして、特別編は放送された。集中、見落とさないように、息を凝らす、なるほどラグを考慮しておさらいをするのか、なんて良心的――そのまま総集編は続く続く続く、気付けば残り二十数分一話分、一時間まるまる新規ではないらしい、つまり……つまり……つまり……ここでようやっと悟るのだが、「どう考えても終わらない」。


 総集編の後に始まった特別編の中身は、どうしようもなく苦かった。暫定の最終回であった第12回を引き継ぎながらも、まだ後1回分あることから来る視聴者の楽観を粉々に砕くような代物だった。結局回収すると思われた伏線の数々は放り投げたまま、というよりは更に新たな情報を加えた上で、バッドエンドと形容せざるを得ないような結末を迎える。アカと裏アカの真意、フリルとの相対等の分かりやすい決着は描写されずに、リカと桃恵がエッグ世界で負った心の傷は、回復することもなくそのまま放置される。アイの親友であった小糸は、沢木先生との親密な関係といったそれらしい原因ではなく、ただ「どうかしている」少女であったというだけ。生き返ったとしても全く別人のようになっていて、スマホにあった記録さえも消えている。そして四人の中で一人、「笛を吹く少女」であったねいるは、なにがしかの事情で一人行方をくらまし、実はAI、妹のアイルといった突拍子も無い滅茶苦茶な真実を間接的に明かして、エッグ世界にいるフリルらに同調してしまったかのように消える。アイのスマホにはねいるからの連絡が届くのだが、アイは心苦しさから、スマホを文字通り投げ出し、友情を裏切るような行いをしてしまう……。これまで積み上げてきた少女たちの友情、連帯からなる開けた未来への展望、残酷に直面しても立ち向かう姿の力強さ、背後に潜む大人達の欺瞞を打ち砕く若さの眩しさ――つまりは希望を根底から引っくり返して全部無駄だったと打ち明けるような露悪的着地としか受け取れなかった。ラスト数分、その後の経緯が語られるのだが、エッグに関することは分からないままで皆とは疎遠になるという、最も凡庸極まる「現実的」な方法、どんなに辛いことがあっても時間と共になぁなぁで忘れて解決したように描いてしまうのだ。ここに劇的さは微塵もない。あの頃とても大切に思えたことも、時間と共に何かどうでも良くなって、苦しくてしょうがなかった心の傷も勝手に癒えて、相も変わらず世界には謎が満ちていて、そんな中でただ何となくしこりを抱えてつまらない日常を生きていくわたし。余りにも分かりきった事実だ。希望はないのか? いや、アイはふとした瞬間に思い出してしまうのだ。いつかの日々と忘れていた心残りを。そうするとまた始まりのように駆け出して、エッグのガチャの前に戻ってくるしかない。今更裏切りを肯定するまでもなく、無根拠にねいるは待っているはずだ、と信じきって、前を向いて笑って再起をする。また立ち向かう意志を取り戻す。はっきり言って身勝手で傲慢な決意だ。だってもうねいるは帰らないかも知れないのだし、何より自ら放り投げてしまったのだから。それでも、作り手は一人の少女のやり直しを祝福するように、許してしまう。ここには昨今のトレンドになっている「逃げる」ことの是非が問われているが、特異なのはそもそも「逃げる」ことが本来持つ逃避の意味、目を逸らす意味から逃げていない。逃げることはどこまで行っても逃げていることでしかない。それによって生じた傷は決して癒えない。それでも、そうだとしてもやり直せるはずだ、可能であってほしいという出鱈目なメッセージだ。本作が貫いてきた少女性への信奉を、最後に抽象的な希望への願いに転換させてしまう様に、私はあ然としながらも納得するしかなかった。どんな悲劇があったとしても、少女ならば立ち向かえるはずだという信念。それはハッピーエンドではなく苦味のあるバッドエンドにおいて有効に、切実に機能し得る。どうしようもなさへの、ファイティングポーズ。勝てるかどうかは分からないにしても、勝てるはずだ。だって少女は無敵なのだから。


 無論、制作が行き詰って投げただけという見方も可能だ。全体を通して見た時の構成もガタガタで、物語としての完成度は決して高いとは言えないだろう。それでも私が本作をどうしようもなく好きになってしまったのは、結果として表出した不安定さ、歪さが拘り尽くしてきた少女性と不可分に結び付いているように感じられたからだ。未成熟なバイオリズムと現実の凸凹を表現することに合致している形態に思えてしょうがないからだ。紆余曲折あったのだろうが、このような一筋縄ではいかない、ありきたりではない結末にすることは決まっていたように監督の一文を見て思う。

 

登場人物が自分に似ていってしまうことがあります。
人物を理解していこうとする過程で、自分だったらと考え始め、結果として動かしやすいように矯正してしまうのです。
なので、今回は自分だったらをやめてみました。
この子だったら?あの人だったら?
他人を理解して動かすなんて出来ませんから、理解出来ない他人をただ見守るだけです。
https://wonder-egg-priority.com/staffcast/

 

 少女を理解の及ばない存在として描きながらも、信じてみせる態度は最初から決まっていたのではないか。それでも円盤最終巻に付いてくる特典がドラマCDと聞けば、期待してしまうのが人情というもので、分かりやすい決着や多幸感溢れるキャッキャウフフを見たくないのかと問われれば絶対に嘘だ。劇場版! 二期! あらぬ夢想。最終回を迎えてもオールタイムベストであることに揺るぎはないので今後も何か動きがあれば追い続けたいと思う。


 前に書き散らしたWEPの記事。

sonnablog.hatenablog.com

 

sonnablog.hatenablog.com


 勢い余って書いた二次創作。

#ワンダーエッグ・プライオリティ #青沼ねいる 嵐がやってくる前に - ユーライの小説 - pixiv

 

#ワンダーエッグ・プライオリティ #川井リカ 二人の隠れ家 - ユーライの小説 - pixiv