ワイルドサイドへの執着

童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり

年内にキメろ映画ベスト10 ~2022編~

 例の年が明けてから発表する映画ベスト10、今年から労働を始めたので本数が例年と比べて激減しております。ファック。来年(今年)はどうなることやら……ということで、Twitterハッシュタグから派生したいつものやつです。以下、Filmarksに投稿した文章を加筆・修正したものとなっております。内訳は邦画が15本、洋画が5本、旧作が6本の計26本。

 

ガメラ3 邪神<イリス>覚醒
 オールタイムベスト。怪獣映画のフォーマットを使って、1999年の世界滅亡を不可逆の切迫感で描き出している。『1』『2』がパブリックな作風だったのに対して、一気に膿を出すように趣味を入れまくった感覚がたまらない。曰く「プライベートフィルム」。一番作家の映画。その暴走の原因は、『GAMERA1999』で露悪的に詳らかにされた製作のゴタゴタかどうかは定かでないにしても、いまいち方向性が定まらない本編で明らかになっている。『タイタニック』を参考にし、これまでにはない個人のドラマを投入した結果、少年少女、怪獣、伝奇、エロス、終末論、電波、自衛隊、官僚、いじめ、百合等氾濫した要素をカタストロフでひっくるめたら色んなところがはみ出してしまっているが、むしろその破綻が独特の勢いに繋がっている。某国の死体、海底の墓場、オープニングから猛烈な死の腐臭。ヒーローの本質的なジレンマを暴き出して生み出された綾奈というキャラクターは、怪獣による破壊願望を体現する存在として発明。胎内での残酷な種明かしは、セカイ系への回答として機能。それから救ってあげるのがガメラ。対するイリスは言わば「悪い男」であり、山中での一体化はどう見ても変態の所業。両性具有である有機的な気持ち悪さ。未だに渋谷の地獄絵図を超えるシーンは国内海外問わず無い。被災した親子は初代ゴジラへのオマージュでしょう。「魂のルフラン」が聞こえてきそうなラスト、もうこういうサブカル的な同時代性を持った邪な怪獣映画は出てこないのかも知れない。それでもペシミズムに陥らずに希望を語る誠実さ。唯一無二の怪獣による黙示録。


ガメラ 大怪獣空中決戦
 初めてスクリーンで、且つ久しぶりに観たのだが、エンドロールの「神話」で泣けてきた。個人的な事情もあるが、かつて信じたフィクションの理想形を自分達の手で作り上げる、という本編に現れている意志の結実と歌詞がダブるから。なお、その対象は東宝怪獣映画等であって、ガメラに対しての思い入れがそれ程無いことはぶっちゃけられている通り。本郷功次郎久保明から始まる。自然なので気づきにくいが、福岡ドーム前での「退避ー!」等広くオマージュが盛り込まれているのが分かる。「ガメラ」という言葉自体が持つ滑稽さを脱臭することに全力が注がれており歪だが、従来のお約束への配慮は抜かりなく。子供の味方である要素は解釈をこねくり回して少女の味方にシフト、結果として背負ったガメラの父性、男性性から来る危うさは、実父である小野寺昭によって免れている印象がある。この問題は『3』のイリスによってより前景化する。改めて記憶に残るのは、主要モブ問わず脅威と相対した人々の顔。怪獣出現や非常事態におけるリアクションを丁寧にカットを割って拾い上げている。それは観客の驚きや恐怖と一体になっている。彼ら彼女らが官民問わず一体となって脅威に立ち向かう頼もしさ。「滅んでたまるか」に象徴されるように、シリーズを通して不安の中で未来を信じる態度がある。自衛隊を始めプロへの賛辞も。『サンダ対ガイラ』を下敷きにした、二体の怪獣が激突する過程が自然であり、日本列島を横断するスケールが豊か。大谷幸の劇伴の影響もデカい。「行きます」や「こういうことやってみたかったんだよ」から漂うパトレイバー感。着ぐるみに不向きなギャオスをどう生物的に見せるかの苦心が随所に。この課題はフルCG化により解決する。西部劇的決闘→爆発四散から光の柱が立つのは庵野への目配せか。クラシックを目指した、と言う通り映画として手堅く、それがキネ旬等で評価されたのだろうが、以降より洗練ないし奇形になっていく。怪獣映画としてのスタンダードはこれ。


ガメラ2 レギオン襲来
 前作は王道の復活を目指したら必然的にリアリズムに徹した作風になったが、今作はその方針をより突き詰め、一見さんの入りづらいハードコアな侵略SF映画となった。出てくる人達が皆博識な理系っぷり。「怪獣映画は戦争映画のメタファー」という思惑の元、「ご無事で」等のテンプレを用意し、差し引きならない壊滅の危機を前に立ち向かっていく勇壮さ、悲壮さ。利根川を防衛線とした最終決戦では、本部と現場を淡々とカットバックすることでむしろ凄絶さが際立っている。その只中において、確かに生きている人々の生活感のある描写が巧み。対比して有事の前の緊迫感を煽る。特に銭湯での子供とお兄ちゃんのやり取りが好き。ヒロインである穂波もちょっとした不思議ちゃんな立ち振舞いで長峰と差別化出来ている。「地球のタガが外れた」という台詞があるが、当時の観客としては否応にも連想したであろう地下鉄での惨事は、強い同時代性を感じさせもする。世界が滅ぶかも知れない切迫感は、次作でより全面的に展開されることとなる。最後の見せ場を腹空け元気玉で持っていくのは唐突にも思えるが、これもフリか。現代を舞台にした怪獣映画としてやれるだけのことはやった結果、間を置いて明後日に向かう『3』となる。


④弟とアンドロイドと僕
 監督の精神状態を心配したくなるような病んでいる感じが好き。というよりこれまで「男らしさ」にこだわってきた阪本順治の挑戦。中年にもなって「僕はここにいるのか」という中学生で卒業するような自意識に悩む姿は、見ていて腹が立つような女々しさがあり、オタク的であり、子供部屋おじさん的な「子供大人」のそれだ。監督の実人生を反映したと思われる切実さは、血の宿命というよりもっと卑近な近親憎悪、ひいては女性嫌悪だが、それは中上健次のようでもある。トヨエツが本来持っている女性的なルックスと佇まいが主人公である彼のナイーブさ、女々しさと完璧に合致していて、私的ベストアクトかも知れない。全編を通して男性が持っている女性的な感性が展開されているが、その裏返しとしての「男らしさ」への固執だとすれば、これは自分事としても考えざるを得ない。タイトルだけ見るとSF的なアプローチを予想させるのだが、アンドロイドを生成する過程からも分かる通り、それは子供の自由研究のような、往年の怪奇映画的なファンタジーになっている。もう一人の自分を作るのは、かつて存在した純真の自分を保持するための繊細な自己愛からだ。最終的に着地するのは「孤独で可哀想な僕を救ってくれるのは無垢なあの子しかいない」というどうしたってオタク的な少女信仰、本当に気持ちが悪く、しかしその気持ち悪さを一蹴出来ないのは、身に覚えのある気持ち悪さだからだ。全編が雨に覆われ、誰もがフードを被っている本心が見えないような息苦しさは彼から見える世界観の表出、自宅でだけ脱いで自由になることが出来る。トンネルも扉もフードと同じ何重にも重なった外界との「殻」のモチーフ。創造主を自らの手で絞殺するのは雨と合わせて『ブレードランナー』だ。何にせよこういう自意識の問題を「究極の孤独」にしてしまう監督は信用に値する。


⑤神は見返りを求める
 これまでの吉田恵輔作品から頭一つ二つは抜けている傑作。これまでは主に物語の力で興味を持続させていたが、今作は「見たくないものを無理やり見せられる」映画的な魅力を獲得してしまっている。『空白』でもカットを割らないことによる極めて優れた轢死を見せつけていたが、スマホの縦長サイズながら飛び降り自殺をワンカットで捉える感覚は最早『回路』黒沢清に接近している。田母神が発する「編集の刻みが細かくて見辛い」という言葉は、逆説的に映画の特性を言い表しているように思える。題材こそYouTuberを扱って今時のお話に仕立てているが、現代の分かり易い表層として適当なものを選んだけであり、繰り広げられるのはいつもの人間関係地獄絵図。ぬいぐるみは誰もが身に着けている内外の仮面のイメージ、それを剥いで血を流しながら踊り狂う姿には「素顔のまま血を流しながらでも生きてゆけ」という辛辣な人間賛歌がある。街中で見かける様子のおかしいオヤジに向けた哀歌、ラストショットで後光が照らす背中においてあるいは彼らのような存在こそが本当に神なのかも知れないと語る。根本敬か……?


⑥MEN 同じ顔の男たち
 スクリーンで初めて無修正を見てしまった。モザイクがかかっていた気もするが、あそこまで形が判別出来るならモザイクの意味が無いと思う。映画としてどうこうより、性器を見てしまったこと、全裸中年男性そのものの被写体としての面白さに夢中になってしまった。田舎の別荘でお散歩していると遠くに男の影、全裸っぽい……。こんなシチュエーションは確かに現実で遭遇したらホラー以外の何物でもないが、しかし絵面が面白過ぎるだろ常識的に考えて……。この映画、男性嫌悪の象徴として取り上げたのがよりにもよって全裸中年男性というミもフタもなさによって、ほとんどギャグスレスレになっている。恐怖と笑いが隣接しているといった話とはまた違うんじゃないの。元彼のDVを披歴することによってああ、妄想の産物なんだなと観客に納得させておいて、普通に警察に取り押さえられる全裸中年男性に繋ぐので笑ってしまう。普通に実在すんのかよ!そうやってうんこちんちんで笑っていると、最後のアレでドン引きさせられる。どうやら監督は今日的な女性への視点を持ち合わせているつもりらしいが、私からするとどうも逆説的に女性への蔑視、嫌悪を隠しきれていないように思える。ハーパーを通して「こういうところが不快なんだよ」と愚痴っているように見える。そういう捻じれた自意識の発露は全く他人事ではないので親近感を覚えたし、ちんちんが見られたので良かった。張り巡らされたメタファーの解釈遊びに付き合うつもりは全く無いが。昨年放送された我が国の問題作『ワンダーエッグ・プライオリティ』との共通点、そして監督が視聴済みであることに震えた。変態はどこにでもいる!


⑦GHOSTBOOK おばけずかん
 いつもの山崎貴かと舐めていたら全然悪くなかった。『リターナー』以来……ではなく『寄生獣 前編』以降で一番では。この人は現代日本が何かしらの力で異化された風景を撮るのが上手い人なんじゃないかと思う。普通に端正な映画も作れる。『アルキメデスの大戦』では変えられることの無い未来をアイロニカルたっぷりに描いてみせたが、今回は未来は諦めなければ絶対に変えられる、可能性は無限、だって俺達子供だからという馬鹿馬鹿しいまでの楽観、というより傲慢さを打ち出す。主役三人の「今時のガキ」感における解像度が高く、悪ガキの冒険譚と言えば『レベルE』のカラーレンジャー編を思い起こさせるくらいには上手くいっている。ゲームモチーフ繋がり。対する新垣結衣先生の疲れた佇まいとやる漫才も程々に生っぽくお膳立てされた空虚さを感じさせない。神木隆之介の「邪悪な金田一耕助」ルックも良いね。最後に立ちはだかるジズリの爬虫類型クリーチャーとしての活躍には「プレ・山崎ゴジラ」の気配を感じて盛り上がる。形態変化がシンゴジっぽい。佐藤直紀のコーラスが入った劇伴からは例のテーマの仕上がりも想像させる。妖怪連中が一回きりの使役後も味方してくれたり、記憶を覚えている理屈が結局フィーリング止まり等ロジックの甘さも目立つが、ジュブナイル映画としては及第点以上では。


⑧ケイコ 目を澄ませて
 「聴覚障害者のボクシング」という難しい設定を成立させるため、必然的に映画の純度が高くなっている感がある。漫画でも小説でもない、映画でしか表現出来ない複雑なニュアンスが静かな画面で渦巻いている。それを正しく体現するのは口数の少ない岸井ゆきのの表情と佇まいだ。深夜の高架下で物言わず立ち尽くす姿なんて、ハードボイルドで惚れてしまう。ボクシングを扱った邦画は多いが、基本どれも下町人情の浪花節を基調としている。つまりどう足掻いても『あしたのジョー』からは逃れられぬ。しみったれハードボイルド。そんな中で会長がインタビューを受けながら「才能は……無いかなぁ」→踏切が上がるのを待つ傷を負った岸井ゆきのの横顔の繋ぎにちょっとギョッとさせられる。カットを繋ぐことで言語化しにくい微妙な意味合いが生じている。説明的にならない一貫した語り口も心地よく、朝起きてスマホを確認するシーン、そこら辺の監督が撮ったらスマホの画面を映して何時か表示して説明したがるものだが、窓の外が薄ら明るくなっていることで十分としてみせる。ジムに向かう時に降りる階段、会長が画面の奥に去っていく(凄い不穏で怖い)ことから、あまり明るくないであろう未来を示唆してもいるのだが、それでも上手に向かって走っていく後ろ姿以上のことは言わない。それで十分だから。体験として、字幕上映のことを知らずに観に行ったのだが、偶然近くに座った老夫婦と思しき二人組が手話を使って会話をされていたのが印象に残った。ちゃんと届くべき観客に届いている。


⑨THE FIRST SLAM DUNK
 昔旧アニメを再放送で見ていた程度の知識でも特に問題無し。スポーツや部活といったものに対する不信から警戒していたが、終始「これしかない」と納得させられるような迫力に負けてしまった。1カット単位で検討を重ねた結果の必然としての説得力がある。映画として特別上手いとは言い難いが、実写邦画的な感傷演出の下手さではない。冒頭、海岸にある秘密基地でうずくまる兄を見つけてしまうショット、ここをあっさりと切って場面を移行する速さから信頼出来る。異業種ながら“映画”をやろうとする意気込み。原作読破が前提のようなコンセプトの一点突破は東映繋がりで近年の庵野作品に通じる。しかし、二時間ぶっ通しで行われる試合でひたすら動き続けるCGのキャラクター、挿入される回想で登場する海=死のイメージによって、あの試合のコートが遠い彼岸のように見えて来るのは何でだ。三井が限界に来ても倒れないのは「死なない身体」であるからではないか……というような洒落臭い邪推を抜きにしても、これを見たらうっかりバスケを始めてしまいたくなる。そういう勘違いをするんだから良い映画なんだと思う。

 
パリ、テキサス

 

 

 

 よりによってトップが平成ガメラ三部作というアホさだが、だって旧作を除くとベスト10として成立しないくらいには本数が少ないんだから困ってしまう。こんなに少ないのは映画を見始めて間もない2016年以来だ。他に印象に残ったものを挙げると、見比べて新海誠先生の格の違いが一目超然になってしまう『すずめの戸締り』と『夏へのトンネル、さよならの出口』、障害者割引で観るには適していた『ニトラム/NITRAM』、百合漫画の大傑作『夢の端々』のほぼほぼ実写化『ユンヒへ』、またもや実写化の困難さを浮き彫りにした『マイ・ブロークン・マリコ』、『岬の兄妹』監督最新作だから期待して観てみれば何故かすっかり下手糞になっていた『さがす』等色々あるが、それでも一番駄目だったのは『シン・ウルトラマン』に他ならない。これの失望に比べれば『大怪獣のあとしまつ』なんてかわいいもんです(ほんとか?)、と意味のない強がりをした辺りで了。

 

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