ワイルドサイドへの執着

童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり

映画は自由でいいと鈴木清順から勝手に教わった

 前、樋口真嗣の監督、特技監督作を網羅しようとしていた時期がある。『八岐大蛇の逆襲』、『ミカドロイド』など購入するには比較的割高、近場のレンタル店に並んでいない作品は除いて。そんな中で観たのが2001年に公開された『ピストルオペラ』だ。

樋口真嗣は「特撮」とクレジットにある。脚本は平成『ガメラ』三部作の伊藤和典。監督は鈴木清順。名前は以前からネットや映画関連の本で目にしたことはあった。なにやらよくわからない映画を撮る監督らしい。どんなもんかと勇んで観た後、「なんじゃこりゃ」。こんなよくわからない映画で許されるもんなのか。と、初見時には思ったが後に『殺しの烙印』、『ツィゴイネルワイゼン』と観ていくうちにだんだん良さが分かってきた。整合性をまるで無視したストーリー、原色を使った美術、独特のテンポ、台詞……魅力を簡潔に説明しろと言われても「なんかよくわからないけどいい」としか説明できないような感覚。そういう映画ないし作品があることを初めて知った感すらあった。なによりショックだったのは「整合性を無視したストーリー」。こんな無茶苦茶やっても面白くなるしカッコよくなるし評価されるものなのか。そういう映画(娯楽全般とすら言っていい)を楽しむ上でのある種基盤のようなものが、鈴木清順の映画で身に着いたと思っている。無茶苦茶でもカッコよかったりエロかったり感動できればいいのだ。そう悟ってから映画なりなんなり、肩の力を抜いて楽しめるようになったと思う。もう一つ学んだのは「昔の映画もカッコいい」ということ。『東京流れ者』のラスト、白い部屋(こうとしか言えない)でのシークエンスは、2017年現在の視点で見ても滅茶苦茶冴えててカッコいい、の一言に尽きる。なにせ公開は1966年だから、もう51年も前の映画なのだ。「昔の映画」に位置付けられるであろう映画はゴジラシリーズなどで既に観る機会はあったが、それで感じたカッコよさとはまた違ったものであった。新作を撮るという話を見たことがあったので、エースのジョーこと宍戸錠と組んでいつかやるんだろうなァ。そう勝手に思っていたのだが、とにもかくにもスクリーンで新作が観たかった。