ワイルドサイドへの執着

童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり

『ゴジラ-1.0』――安心してください、履いてますよ

 ず、山崎貴という男について語らねばならない。日本映画界屈指のヒットメーカー。VFXを駆使し邦画離れした映像を創造する監督。『ALWAYS』で日本中を感動の渦に巻き込んだ悪しきノスタルジーの元凶。

様々な見方はあるが、インターネット上では大衆に媚びたダサい邦画の象徴として、さながら「この世全ての悪(アンリマユ)」が如き扱いを受けている。絶叫し、説明し、涙を流しながら感動気な劇伴が流れる典型だと揶揄され、オタクから恰好の標的にされている。あとシネフィルにも嫌われているみたい。存命ではあるが、かつて同じような立ち位置であった山田洋次だってここまで嫌われてはいなかったはずだ(というか、そんな年季の入った論客はもう全員お年を召されて目に付かないだけだろうが)。デビュー作と続く二作目である『ジュブナイル』と『リターナー』は良かったけど他は……百田尚樹原作だし……といった論調でボコボコに叩かれ、果ては人格攻撃にまで至る始末。ドラクエの時とかねぇ、個人的な思い入れに任せてとんでもない誹謗中傷が飛び交っていて、ほんとどうかと思いましたね。私としては、そう言われるのも仕方ないけども、常に予算不足の日本映画界においてスペクタクルで勝負をかける姿勢だけでも好ましいと感じてしまい、決して嫌いにはなれない監督だ。時にはそんなに悪くない映画も作る。皆褒めてる『アルキメデスの大戦』もそうだし、『寄生獣』二部作だって改変がどうのこうのと騒がれましたが、現代日本を舞台にしたゴア有りアクションとして、なかなかどうして侮れない出来でありましたよ。『ゴーストブック おばけずかん』も夏休み子供向けとして過不足ない佳作だったな。別に山崎貴だけを目の敵にしなくても、他に駄作を量産し死後さばきにあうべき監督はなんぼでもいる訳で(福田雄一とか平川雄一朗とか)、敵を見誤ってはいけない。酔っ払いも「そうだそうだ」と言っています。

 

廣井きくりは『ゴジラ対ヘドラ』絶対観てる。そして「かえせ!太陽を」をモノホンのボディペイントでカバーしてそう。

 

 そんな印象であるから、「山崎貴の新作がゴジラらしいぜ」との一報を知った時はまぁ、いいんじゃないっすかという程度だった。庵野秀明樋口真嗣による奇跡の大傑作『シン・ゴジラ』がニッチな路線に踏み切ったならば、次作は逆に方向転換してマスに全振りするのもよかんべ。そもそも、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』でわざわざゴジラを登場させて以来、いつ本編を手掛けるかは時間の問題だったのだ。2014年のハリウッドによる『GODZILLA ゴジラ』を受けて、日本で撮るなら誰かを考えた時の最右翼だったし、いつの間にか『ゴジラ・ザ・ライド』なんてアトラクション用の映像も手掛けちゃってる。世評は「どうせお涙頂戴のろくでもない代物なんだろ」と散々だったが、なーに、『シン』の時だって「庵野はとっととエヴァ作れや樋口は実写進撃の責任取れやオラオラ死んでまえ」くらいの期待値だったことは記憶に新しい。私ははっきり覚えておるのだ。知らぬ存ぜぬは許しません。そんな杞憂は、特報、予告編と情報が段階的に公開されていく内に払拭されていった。あ、これ本気なんだ、と。大マジで初代ゴジラの恐怖を再現するつもりの気概がビンビンに伝わって来る。これ見てまだゴジ泣き言ってる奴の方がモグリですわ。少なくともゴジラそのものに関しては間違いないだろう。初期二作のように欲望を全開にした逆転ホームラン、全人類がタカシ君に手の平返すで! ドキドキしながら、初日にIMAXDolby Atmosを予約し、意気込んで突撃した。7年ぶりの和製ゴジラ新作、殺るか殺られるかの真剣勝負なのである。半端は駄目だ。


 「素晴らしいよくやった」とも「これじゃ全然駄目なんだ」とも思わなかった……というより、地獄のように酷い時間と褒め称えたい瞬間がグッチャグチャに混在していて、よく分からない。いや、7:3の比率で前者が勝っているようにも思う。嫌いな僕の劣等感と、他人と違う優越感と。せめぎ合う絶妙な感情。一体何やってんだ? 一回目は上映終了後の「あーはいはい」とでも言うような低めのテンションが周囲から何となく察せられ、不覚にも飲み込まれてしまった。拍手とかも無かったよ。これはいけないと思い、心落ち着かせての二回目で整理は付いた。ま……あんまり暗い話をしてもアレなので美点から挙げると、ゴジラは人間を狙う得体の知れない虐殺大怪獣であるとする描写の数々が素晴らしい。ゴジラかくあるべし、なんてのは幻想なのであって、時代によって核の被害者、荒ぶる神、自然の象徴といった深刻さを請け負う一方、シェーしたり飛んだりフキダシで会話してきたりしてきた。どのゴジラ像を採用するかは監督に委ねられ、山崎貴は当然のように初代の方を選択した。やはり、GMKが好きだのスピ版『宇宙戦争』がマストだのとヌカす男が、穏当なゴジラにするはずは無かったのだ。はっきり言ってこれだけでもアカデミー受賞確定、カンヌでパルム・ドールはカタいのであって、お見それしました、恐れ入谷の鬼子母神と言うほかない。正直濡れたわ! 『シン』の何が不満だったかって、直接的な人死を一切排した点にある。お上を舞台にしているせいか、ゴジラの足元で無残に踏み潰されていく人々の姿をほとんど映してくれない。それは東日本大震災をモチーフにした事に対する厳粛な倫理ある態度として解釈も出来るんだけど、私は納得しかねて大いに不満だった。わざわざ映す必要はない、文句言う奴は想像力の欠如した馬鹿、ノロマ、白痴だと罵られて涙を飲んだ。宇多丸師匠だって「今はそういう時代の気分ではない」とか何とか言ってる。あー違うんですよ公平を期して記せば、私が観たいのは「怪獣による人死」なのだ。それ以外に無いのだ。プロレスもいいんだけど、心の底から欲望しているのはゴジラによって世界が破滅して、人がゴミのように死んでいく映倫もブッ飛ぶハードコアが観たいんだ。だから、こんな殺伐とした時節柄、残酷趣味を大メジャーで披露しただけでも親指を立ててやりたい。特に、中盤のハイライトである銀座のシークエンスは怪獣大虐殺の金字塔「『ガメラ3』の渋谷」に比類するものを作らんとする覚悟が感じられて、溜飲が下がる思いだった。近年主流となった放射熱線に付随するギミックも、溜めに溜めてから不意打ちに放つのが新しいし、直撃より爆風で惨事になる着眼点も悪くない。冒頭で大戸島に襲来するゴジラザウルスはモロにエメリッヒ版『GODZILLA』を意識した姿形となっており、これにはハリウッド憧れが強い彼流のパイセンへの敬意があると思った。かつて、本家本元東宝がマグロとか言ってコケにしていた頃と比べれば大違いである。品があるのはいいことだよ。


 ここまでのテンションだとさも大絶賛のように見えるが、前述したようにそうではないんですね。ゴジラに関しては拍手喝采も惜しまないというのに、足を引っ張っているのがやはりと言うべきか人間ドラマだ。例によっていちいち説明し、絶叫し、ポロローンみたいな劇伴が惜しみなく流れ、立てた親指も引っ込んで中指になっている。昔っからゴジラ映画なんて大概こんなもんやろとする意見もあるが、これは土人の感性に他ならない。悪しき先達の例をそのまま受け継いで良しとする旧態依然の姿勢がシリーズを腐らせていくのだ。ファンがそんな舐め腐って遠慮した態度でどうする、と思う。大体、本多猪四郎金子修介はこんなチンタラしてなかったですよ。おおよそこうなるのは予想していたが、ワンチャンゴジラを手掛けることで覚醒あるかもという期待は少なからずあったのだ。そんな予断を簡単に裏切り、どこまでも……山崎貴だった。熱線一発したゴジラはキノコ雲を燻らせて満足気に咆哮し、黒い雨をさんざと降らせる。それに立ち会った神木隆之介は己の無力感の余り……俺はいよいよここで画面を正視するのがイヤになっちまった。プルプル震え出してこれ絶叫来るでと思ったら案の定。ファック! こんなんじゃ濡れねぇんだよ! 神木隆之介は延々「俺は特攻出来なかった!」と分かりやす過ぎる程に苦悩しまくり、観客にはとっくに分かっている心情をベラベラ喋り倒す。これまでの経緯と態度でそんなん了解済みなんだから、いちいち言葉にしなくてもいいのだ。誰も頼んでないのだ。確かに初代における芹沢を主人公に置き換え、GMKやシンの要素を盛り込んだ文芸としての作りは認める。とてもじゃないが素人さんの仕事ではない。だから余計にマシマシの邦画仕草が悪目立ちする寸法だ。こうなるともうゴジラパートも気に食わない。総じて異変が起きて日常が非日常に変貌するグラデーションが不足している。しつこい程に予兆で前振りする怪獣映画の作法がなってない。対新生丸でも鮫みたいにヌルッと出現するし、銀座もシーンの連続性が無いからいきなりCG空間にワープしたとしか思えず、「どうせこれ作りもんなんだろ」と勘づき冷める。カメラの位置も良くないね。


 結局、山崎貴ゴジラを撮ってもなおパンツを脱ぐことが無かった。特攻を否定する感動ドラマが本当にやりたいことだとは、到底思えなかったのだ。ゴジラが虐殺を行っている場面の方が遥かにイキイキと心の赴くまま作っているように見えた。そんならずっとそれだけやってればええやん、残酷の家の子になったらええやん。私だっていい大人だから、様々な事情外圧が働いてこの結果というのは理解出来ます。そう考えた時に、しょうもない愚作として切り捨てていた『シン・仮面ライダー』がにわかに輝きを帯びてくる。少なくともあれは庵野秀明が自分に正直に、欲望を一切隠さずフルチンで作った映画だった。今はそっちを支持したい気持ちが恥ずかしながらほんの少しだけ、ある。前々から山崎貴にやらせてはどうかと思っていたが、結果は大して振るわなかった。ドラえもんヤマトドラクエと巨大IPを扱ってきたフィルモグラフィーに、ゴジラが加わっただけだったのだ。『シン』のように歴史を変える決定的な一本には、ついぞならなかった。ならば、『続・三丁目の夕日』の短い短い尺で見せた綺羅星のように輝く可能性、あれは何だったのか。どうせなら覚めない夢であって欲しかったよ。つまるところ、和製実写ゴジラのハードルは大分下がったのでもっと気軽に色んな監督にやらせればいい。次はFWの没案である「死刑囚対ゴジラ」を三池崇史で。その次は予算を与えて田口清隆にアナログ特撮の本編を。後は、そうだな……。

 


以前書いたゴジラシリーズの感想。

sonnablog.hatenablog.com

 

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