ワイルドサイドへの執着

童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり

年内にキメろ映画ベスト10 ~2023編~

 ソったれ労働の隙間を縫って今年も映画を観ていたよ。新卒一年目の去年よりは大分本数増えてるよ良かったね……ということで、Twitterハッシュタグから派生したいつもの映画ベスト10。以下はFilmarksに投稿した文章を加筆・修正したものになります。内訳は邦画が27本、洋画が12本の計39本。

 


①バビロン
「自分の人格が映画によっていかに形成されてきたか」をbioで滔々と語りたがる輩はよく見かけるが、似たような図々しさがある。誰もあんたのことなんて興味ないし、「これは自分のために作られた映画だ!」なんて思いあがりも甚だしい。あくまでも営利目的で製作されるのが映画であって、そこら辺の雑魚のためだけに慈善事業で作られているはずがないのである。その内幕もファックと糞尿で彩られた薄汚い酒池肉林の園である。そんなことは分かっている。でもねぇ、勘違いしちゃうんですよねぇ……。てっきり映画史を客観的且つ批評的な視点で見つめなおす物語なのかと思っていると、最後は「俺」になる。公共の概念を道具にして、自己愛を補強していく。だから僕と君でランデブーなセカイ系的いつもの語りやすい手口に逸脱していくし、それはこっ恥ずかしく安っぽいニューシネマもどきでしかない。何で非情なギャングが命乞いをしたら見逃してくれるんだ。あの後どうやって生き延びたんだ。そんな整合性も史実も知ったこっちゃねぇ、俺の話をしたいんだ。俺の人生がいかに映画によって豊かになって救われたかの話をしたいんだ。映画史じゃなくて、俺。俺を見ろ! あっ、これ……世界でただ一つ、俺の映画やん! 涙……。幾多の版権の許諾を得てやることがそれって、本当に気持ち悪いよ。ご立派なお題目を掲げながら、オナニーして気持ち良くなってるだけなんだ。最高のオカズを使って、流しているのは涙じゃなくてスペルマなんだ。恥知らず極まりないプレイであるから、レガシーにぶっかけやがって何してくれとんねんという気持ちも、もちろんある。でもその気持ち悪さって、そのまま私の気持ち悪さでもある。だから彼とシンクロして泣いてしまったよね。白旗。


②月
 ここまでの覚悟で迫られると良いとか悪いとかそういう問題じゃねぇわと言わざるを得ぬ。人間性に纏わる虚飾を剥がして剥がして剥がし倒す無間地獄の迫力に完全に圧倒される。相模原障害者施設殺傷事件をモチーフにしていることは言うまでもないが、時代を覆う気分に東日本大震災も導入。創作で現実を救えるのかといった問いは京都アニメーション放火殺人事件の影響もあるだろう。これら近年のやり切れぬ惨事に対する石井裕也の葛藤を綴る私小説といった側面が強い。先行作はいくらかあるんだけど、それらと比べると腹の据り方が尋常ではない。植松聖をモデルにした「さとくん」は劣悪な環境の中で届かぬことを知りながら、入居している障害者に向けて甲斐甲斐しく紙芝居の朗読劇を続けるような「良い人」だ。聾唖の彼女も邪険にしない。虐殺行為はNOとする倫理感も持ち合わせている善良な好青年。そのように見える。しかし、そんな彼こそ平然と優生思想を公言して憚らない。果たして障害者は生きていてもいい命なのか。心はあるのか。産まれくる障害児を中絶することとの違いは。そんな現実を創作で描くのが欺瞞でなくてなんなのか。俺とお前は同じだ。違う、貴方とは違う。何で、どうして。徹底的に揺さぶり続け、観客はペンペン草も生えない荒涼とした地平へ連れて行かれる。こんなもん答えなんてないんですよ。勘弁してくださいよ。最後に描かれる希望の、ようなものの弱々しさ。現実に対して創作は全面降伏するしかないように見えた。この血を吐くような事実をスクリーンに叩きつけられる監督が他にいるのか。石井裕也、やはり現代日本映画最強の作家だ。


③最後まで行く
 終盤、いよいよタイマン前に訪れる柄本明宅の武器がいっぱい隠し部屋を見て「おいおい『いつかギラギラする日』か」と思っていたら、エンドロールを眺める脳内ではショーケンの「ラストダンスは私に」が流れていた。つまり良い映画。キネ旬の特集では「日本映画はやれば出来る子!」的に紹介されていたが、お前それ何十年前から言ってるんだと。九十年代に機運を高めた奥山和由プロデュース作の一つとして『いつかギラギラする日』は製作されたが、評論家界隈の深作健在に喜ぶ声と香港ノワールに目が肥えた観客らの乖離があったと予想する。やれば出来る子とは言いながら、結局出来たためしがない。『仁義なき戦い』とか知らねぇよ時代はジョン・ウーだぜという意見の方が至極真っ当だ。でも及ばないなら及ばないなりにカッコつける態度が尊いと思う。韓国映画のパチモン(リメイクです)、上等! てか岡田クンもいいけど綾野剛が相変わらず最高。何回目かの死んでないフリで後ろの席から「怖っ!」という悲鳴が聞こえてきたけど、あったりまえだろ剛はいつだってヤバくてクールでイケてるんだよ。一見誠実、その実暴力男を演出に応じたやり過ぎ芝居で殴る蹴るやっていて実に眼福だった。『ヴィレッジ』では空振り三振カマしていた社会派監督として一流の批評精神も、裏で糸引く悪い悪い悪い柄本明を通じてエンタメの中で上手く消化出来てる。多分真面目にやらない方がいい。現時点でベスト。口惜しいのは、全編ニヤニヤ充実した気持ちだったのに、クレジットの中に見つけた「藤島ジュリーK」。あーもう許せねぇいい加減にしてくれ。


④特別編 響け!ユーフォニアム アンサンブルコンテスト
 一期を十二話まで(何故だ)。実写の日本映画というのは極端なことを言えば、時代劇以外はハリウッド等から拝借してきたパチモノに過ぎない。いくら金かけても所詮は劣化コピーですわ。しかし、アニメは違う。近年台頭してきている中国も何のその、京都アニメーションの技術力は間違いなく類例のないトップクラスのものだ。世界で一番高級な映像を観ていることの多幸感。スクリーンで生き生きと躍動する美少女を前にして、お話がどうとか論ずることにどれほどの意味があるというのか。ごめんやっぱ嘘。煌びやかな絵面の裏に隠されている、恐るべきブラック部活の実態を暴く密着吹奏楽部24時の感想は変わらない。まかり間違って高校の部活で部長を務めるとあんな大変な目に合うのか。とっとと辞めればいいんだよ。でもこのキレイキレイしてないのがいい。思春期の地獄で咲く百合だからこそ美しいって寸法だ。嘘を付きたがらないのは武田綾乃先生の作風なんでしょうな。また単体の映画作品としても、TVシリーズからタイトルコールやアイキャッチを踏襲して、力の入りすぎていない軽やかさにとても好感を持った。選抜の結果をテキストだけで見せる。抜けが良いよね。


⑤しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~
 幼少期の非理谷としんちゃんが出会ってからはずっと泣いてた。愁嘆場→ひろしの靴下で笑かすクレしん映画必殺の方程式。創作の素晴らしさを謳い上げるメタフィクションに弱いというのもあるが、「頑張れ」連打にはさほど悪印象を抱かず。行政が何とかするオチに持って行ってもそれこそ子供は置いてけぼりでしょ。穿った見方なんだけど、怒り心頭の方々こそ無遠慮に頑張れる奴の言い分を振りかざしているのではないか。大昔に作られたゴジラシリーズの一作に『オール怪獣大進撃』という映画がある。ゴジラでは客が呼べなくなって円谷英二も不在の中、既存のフィルムを編集してどうにかこうにかでっち上げられた代物だ。しかし監督の本多猪四郎は、決して子供騙しの安い手を使うことなく、チャンピオンまつりを観るメイン・ターゲットのガキンチョに向けて真摯なメッセージを投げかけることを厭わなかった。「逃げてもいい」とか「そのままでいい」みたいなその場しのぎで責任を取る気もさらさらない世迷い事には逃げず、「現実と戦え!」と決して押しつけがましくなく諭した。これが粋ってもんだ。翻って今回の『クレしん』にも同じものを感じる。無論雑な部分を挙げればなんぼでも出てくるし、七年も製作期間を費やしておいて結局頑張れしかないんかブチ殺すぞ。しかし、監督以下は無理筋の見当違いを十分承知の上で、それでもやるしかないのだ頑張るしかないのだと言い切っており、まぁ立派な態度だと、このように思いました。


⑥フェイブルマンズ
 この監督(スピルバーグ)はパンツを脱いでいる。腹掻っ捌いて自分のはらわたがどういう色、形、匂い、感触をしているのかじっくりと確かめながら作っているような極私的映画。魑魅魍魎が跋扈する地獄のハリウッドで半生を過ごし、酸いも甘いも噛み分けた老人の怨念が伝わってくる。映画初体験で目撃する列車の事故、物と物とがぶつかり合って大惨事が起こる。その破壊の光景に少年は釘付けになる。俺が映画を撮るのは破壊衝動からだという告白。精神的に不安定な母親と仕事に没頭して鈍感を貫く父親、そして間男として取り入る父の仕事仲間である友人。それら大人に対する不信、嫌悪、葛藤、あるいは愛情。一家団欒のキャンプにて母が透け透けドレスで踊り狂うことの微妙な見ていられなさ、痛々しさ。そしてそれを見る間男と父。俯瞰する息子と娘。決して表面には浮き上がらない「家族」のグロテスクさ。女の顔をしている母をカメラ越しに見つめ続ける。NTRを偶然撮影してしまったことを超重大な事件であるかのように語る。次の日、友人らと作っている自主戦争映画で主役に対して「俺が全部悪いんだという気持ちで演じてくれ」とディレクション。血塗れで死んでいく敵兵。創作者が私生活の鬱屈を創作に仮託して解消せんとする過程を描いた実にクリティカルなシーンだと思う。幼少期に覚える違和感をここまで鮮明且つ具体的に覚えている人はそうそういない。初めて撮ったフィルムを狭っ苦しい押し入れにて母親と二人っきりで観る。ここで思い出したのは初代『ゴジラ』で恵美子にODの存在を明かす芹沢だ。唯一心を許す貴方だから見せたんだ。こういうところにスピルバーグは感情移入したのだろうか。特に問題は解決せず、憧れのスターと会ってはい終わりのあっけなさも「こんなもんだよ」と諭される説得力がある。歴史に名を残す超超有名ヒットメーカーが作った自伝がこんな『田園に死す』みたいな有様であることに世の中捨てたもんじゃないと思えるね。


⑦カード・カウンター
 独自の思想、世界観が首尾一貫しているから観ていて気分が良い。厳つい死んだ目をしたオッサンの煩悶に相応の理由はあるが、どこか女々しく煮え切らない。決められたゲームのルールにだけ順応出来、自室に戻ると全部布で覆って疑似子宮を作り出す。挙句の果てにはいい歳して女を抱けない神経質、潔癖、不感症。自意識から逃れたい素振りは見せながら、結局ウジウジナイーブ全開。「ハードボイルド=男の自慰」必殺の方程式が見事に決まっており、無事昇天出来ました。観たことなかったけどポール・シュレイダーって毎回こんなことやってんのか。へーぇ……そう……。


⑧ベネデッタ
 マジキチヴァーホーベン先生待望の新作はまさかの百合姫掲載で、しかし案の定『ささやくように恋を唄う』ではなく『彩純ちゃんはレズ風俗に興味があります!』の方だったという感じだ。繊細さとは遠いところにある。それなのに、ムードもへったくれもない連れウンチ(SE付き)をした後「貴女綺麗よ」「本当?」「私の瞳に映ってる」「もっと近くで見て」みたいな激エモ会話が出てくるから分からない。共同脚本でクレジットされてるからここら辺も書いてたりするのか。恐ろしい爺さんだよ。ベネデッタはキリスト教を支えるシステムのろくでもなさを看破する存在ではあるが、内面が描かれることはない。こういった自動的なヒーローの心情に寄り過ぎないバランスは『ロボコップ』と同じ。依存する対象がたまたまイエス様だっただけの夢女子のようにも見える。信仰を利用ししたたかに生き、結果的に狂人である女の一生を否定しないのが実にらしい。勇気を貰えます。


⑨首
 北野武は私にとって特別な監督なので、贔屓にしてしまうのである。「みぃ~な殺しに決まっとるがや!」から戦国版『アウトレイジ』を期待していると、案外穏当だし暴力描写も以前のようなキレからは程遠い。これは六年前の前作『最終章』から分かっていたことだ。情け容赦ない歴史ものという着眼点も特に目新しくはなく、集団時代劇など先行例は既にある。ただ、大量に投入される死体と生首の多さ、執着すら感じられる物量にはビビった。たじろいだ。老境に入った作家独特の死生観に空恐ろしくなった。お爺ちゃん怖い。どうせ皆死ぬという諦観に安らぎすら感じるよ。超大作ルック故、手ぶらでやって来てそこら辺の風景からとんでもないものを映し取るソリッドさはなく、ヘンな居心地の悪さはずっとあった。暴力が戦国絵巻の中に取り込まれて生々しさが薄れてしまっている。刀で刺されてから絶命するまでのタイムラグや遠藤憲一が箱詰めにされ、崖から突き落とされるショットにはらしさが垣間見えるが。ホモソ集団パワーゲームに芸能界を見出す視点はあんまり意味が無いと思うけれど、いつものオフィス北野マークが消えたのは心配になりました。「明智が死んだのさえ分かれば、首なんてどうでもいいんだよ!」ボーン! 唐突なれど、テーマ的にはこれ以上ないオチ。この気持ちよさを味わうためだけにもう一回観てもいい。何にせよ、殿は元気な内にもっと映画を作っていただきたいのであります。次は現代劇でお願いします。


ゴジラ-1.0
 初代+GMK+シンを芹沢主人公にして俺流リミックスする二次創作臭。それに『永遠の0』『SPACE BATTLESHIP ヤマト』等で培ってきた昭和論をまぶす。得意なフィールドで勝負を挑むその判断は決して間違っていないが、相も変わらず説明台詞の連打に愁嘆場で延々ダラダラやってて地獄のような時間が大半を占める。何のことはない、これまでも巨大IPを扱って来たザキヤマフィルモグラフィーゴジラが加わっただけさ。こんなもんだよ。シンゴジはこれ撮れるの地球上で庵野秀明しかいねぇと思わせてくれたが、今回はその感じは全然無い。なら駄作なのかと問われれば、これが実はそうでもないんですね。少なからず「良くやった!」と拍手喝采したい瞬間もある……あるのだ。特にゴジラは得体の知れない虐殺大怪獣であるとする描写の数々は素晴らしく、はっきり言ってこれだけで今年のアカデミー賞は決まったも同然なのだ(俺の中で)。金字塔「ガメラ3の渋谷」を超える「マイナスワンの銀座」を作らんとする心意気、イエスだね! 直撃以前に付随する爆風が脅威となる熱戦への着眼点も新しい。第一形態(仮称)はハリウッド憧れが強い山崎流のパイセンへの仁義なのだろう。マグロとか言って馬鹿にしてくれるなよ。例のテーマをわだつみ作戦決行の狼煙に使用する原点回帰も気が利いている。とても素人の仕事ではねぇんだよな。とは言え、無節操に鳴らし過ぎだし、ユーモアもツルツルに滑ってるし、寝落ちで場面転換し過ぎだし、尺も全然切れるやろ。斯様に欠点はなんぼでもあるが、数十作あるシリーズの一作としては余裕で愛せる。抱きしめてあげる。まぁ、次作のハードルは下がったと思うので、間を空けないで色んな監督にバンバン撮らせればいいんじゃないでしょうか。なので、次はFWの没案「死刑囚対ゴジラ」を三池崇史でお願いします。その次は田口清隆に予算与えて本編を。後は……。

 

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 旧作は除外。含めると一位は午前十時の映画祭で観た『ブラック・レイン』になる。スクリーンに映るクライム・シティオオサカの威容は眼福であった。話題を席巻した特撮二大タイトル『ゴジラ-1.0』と『シン・仮面ライダー』だが、愛憎(憎の方が多い)搔き乱されたという意味でベストに食い込む。でもまぁ、海の向こうでバカウケしている現状には、正直お前らアホか(差別的言動)と思っていますが。他にはミーハー根性丸出しで突撃したら普通に拾い物だった『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』『窓ぎわのトットちゃん』、初劇場プリキュアプリキュアオールスターズF』、全然アカンかった『アリスとテレスのまぼろし工場』『グリッドマン ユニバース』、大本命かと思われたが素人にはピンと来なかった『君たちはどう生きるか』など、アニメが印象深い年だった。実写では文系中年に向けたなろう系『PERFECT DAYS』、クソリアリズムで超能力を描く『イノセンツ』、クソ田舎BL『イニシェリン島の精霊』に対する本邦の体たらく『ヴィレッジ』、三池健在『怪物の木こり』、宣伝の熱量に比して肩透かし気味だった『エゴイスト』など色々ありましたが、優勝はTVアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』です。来年の春夏にある劇場版(エヴァかよ)は、余程の間違いがない限りベスト入りになると断言しておく。こう書くと後が怖いね。とまぁ、キリが無いのでこのへんで了。

 

 

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