ワイルドサイドへの執着

童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』からの敗走

 2022年秋アニメだから一年遅れになってしまったが、意を決してアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を観た。何故間が空いてしまったのかと言えば、クソったれな労働をしていたからでもあるし、同じ百合枠である前期『リコリス・リコイル』がてんで駄目だったせいでもある。

しかし一番の要因は、「ぼっち」なる属性の取り扱い方に違和感を覚えたからに他ならない。受動喫煙で想像力を逞しくさせ、ぼっちっつっても友達おりますやん、バンド活動してますやん、タイトル詐欺だ文化盗用だ、モノホンの鬱屈見せたろか! 非理谷充はここにいる! と外野から鼻息荒くしておりましたですよ。観てもいない癖にな。それにこのぼっちちゃん、自己嫌悪と被害妄想は備えている割に、世を拗ねる怨念力(ちから)が不足しているのではないか。そりゃ己を卑下するのもいいけれど、ぼっちなら憎悪を向ける先はキラキラしてる俗世間様。銃を手に取って全身武装、皆様方よ今に見ておれで御座いますよ! その村こそ彼一人にとっての戦場だったのだ! だからみんな、死んでしまえばいいのに……をやらなきゃ駄目だろ常識的に考えて……。と、手前勝手な欲望をぶつけてしまう。ま、こういう願望はセカイ系とか呼ばれて久しく、新海誠先生が大手を振って歩けるようになった現在、そんなに疎んじられるものでもないでせう。たぶん。ともかく、非リア設定で視聴者を釣り上げて、後はあっちゅーまに友達百人出来るかなになるんだろ死ねよとしか思えなかったのですな。オタクの自我が美少女に投影されてあへあへしてるいつものやつ。安いねー百均よりも安い。いかにも特定指定暴力団アニプレックスが考えそうなことだ。アニオタとしては、そのアニプレックス傘下のCloverWorksがかつて制作した『ワンダーエッグ・プライオリティ』からスタッフをほぼほぼ続投して(監督は違うけど)いることを見過ごせない気持ちは正直あった。でもうーん困ったなぁそんな簡単に軍門には下れませんよとグダグダやってたら、一年経っていた次第。以下がその感想になります。

 

 まず映像(音声)作品としてのクオリティがダンチ。バラエティ番組のように手を変え品を変え笑かしたと思いきや、不意に情景を捕まえて泣かせに来たりもする。アニメで描かれる自動販売機の光って何であんなに「抒情」なんだろうね。JKが即席で寄り集まって結成したバンドの癖に出来過ぎでしょーとのツッコミもあろうが、劇中曲は鬼リピ揃いの名盤だ。ライブシーンもド素人に一目瞭然な完成度。これ、派手な動きじゃないから目立たないけど、尋常じゃない手間がかかってると思うよ。つまり、視聴者を一秒たりとも退屈させない設計が群を抜いている。そういう技術的なことは他の有識者がなんぼでも語っているからこれ以上は触れない。アニメーションとして天下一品、どこに出しても恥ずかしくないマジ凄ぇ、大したもんだよ蛙の小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどしだ。それはそれとしまして、私が感動したのは脚本なのです。終身名誉ぼっちである後藤ひとりの成長譚(ビルドゥングスロマン)として恐ろしく誠実だと思った。ビルドゥングスロマンというのは日本語で教養小説と言うように、主人公が泣いて笑ってケンカして、一丁前に成長してチャンチャンといった形式の物語のことだ。こういうのは実にそこら中に溢れかえっていて、一番有名なのはファースト・ガンダムでしょうか。アムロが偶然ガンダムに乗ったせいで戦争に巻き込まれ、仲間達とどうにかこうにかやっていく。今更説明するほどでもない、誰でも知ってる義務教育レベルのあらすじですが、私これが前々から気に食わなかった。引きこもりで機械弄りが好きなアムロ君は、序盤こそ視聴者である私と近似のパーソナリティで共感させてくれます。ブライトさんからビンタ一閃されたり「僕が一番、ガンダムを上手く使えるんだ」とシャウトしたり。しかし、物語が進むにつれてエースパイロット化、ニュータイプに覚醒してどんどん成長していってしまう。最終回でシャアとフェンシングするアムロは、最早私のところからは遠く離れて行ってしまっているワケです。いつの間にか彼女持ち? になりやがって……(フラウは?)。そんなに運動神経高くなかっただろ……飛影はそんなこと言わない……などと成長自体は喜ばしくありつつも、寂しい気持ちになり、これは私とは関係のないお話だと切り捨ててしまう、ような。お前には帰れる所があっても私には無いし、お前は生き延びられても私は生き延びられない。サイド7で死んでます。悲しいね、バナージ。そんな私にとって『ぼざろ』はとても快く映った。何せ、後藤ひとりは最後まで成長せずにぼっちのままなのだから。いや、この言い方は語弊がある。彼女はいくら理解ある彼君こと結束バンドの面々のサポートを受けても、根暗コミュ障の性格が改善されることはない。そりゃそうだ、だって劇中はわずか春~秋にかけて一年足らずの期間なんだぜ。そう簡単に人が変われたら苦労しないよな。だから、最後は学園祭で成功して良かったねチャンチャンといったありがちなオチではなく、些細な、余りにも些細な彼女の成長=押し入れからの脱出を描いて終わる。世界からすれば本当にちっぽけなことだし、「今日もバイトかぁ」と物憂げに呟く通り、彼女の行く手にはこれからも数多の苦難が押し寄せることだろう。全く、廣井きくりじゃないけど酒でも飲まないとやってられない。けれども、彼女のささやかな前進を祝福する作り手の仄かな温もりが、それを見ている我々をも救ってくれていると思った。いいアニメだよな。はい、生意気言ってすみませんでした。負けです劇場版も観に行くので許してください。ちなみに、私の推しカプは「ぼ虹」ですので、そこんとこヨロシク(誰に対して言ってるんだ?)。